2006年02月26日

エア

 「エア」は北海道舞台塾事業の先進的創造活動プロジェクトとして札幌市生涯学習センターちえりあで公演されました(2月25日観劇)。北海道に拠点を置く舞台関係者や映像作家、音楽家、建築家らが協働して2004年度から3カ年かけて舞台をつくる、その2年目の“プレ公演”的なもののようです。劇作家としてのクレジットはなく、構成台本チームが奥山茂、木野哲也、清水友陽、高橋聡、脚本作成チームが木野、清水、高橋、端聡、畠中秀幸、演出が清水となっています。
 舞台は正味2時間。ですが、出演者総勢40人の物語を要約するのは中身的にも大変ですので、公演で配られた「エア読本」から少々長いですがあらすじを引用します。
 「昔々。ヒトが誕生して間もない頃。全ての願いが叶うと信じられている『光る玉』を守るヒトたちがいました。やがて、ヒトは、玉を守るヒトと玉を奪うヒトに分かれていきました。
時は流れます…。
ある小さな町に、兄妹が住んでいて、二人は小さな印刷屋さんをやっていました。妹は毎日出かける前に、仏壇の『玉』に手を合わせます。お父さんは二人が幼い頃、『光る玉』を求めて旅に出ました。『ツカジュソワジュニネガワジュ』。そう言って、妹は毎日お父さんが早く戻って来るようにとお祈りしていました。ある日、お父さんは『光る玉』を持って帰って来ました。『玉』を持つヒトに追われて…。さて、昔の話はひとまずおいておきましょう。兄妹が住む町は、何が気に入ったのか、詩人と占い師が住み着いています。詩人は少しも人気がないのですが、占い師のほうはよく当たると、すっかり人気者。最近は弟子までついているくらいです。人気のない詩人は、チラシを配りに来る妹に恋をしてしまいます。妹はといえば、詩人のコトバが気になる様子。しかし、兄がいつもそばにいるため、二人の距離は平行線です。小さな町に、小さな事件が起こります。『玉』を持つヒトが森へやって来たのです。その日から、森に光が見えると大騒ぎ。小さな町には大勢のヒトが押し寄せます。静かだった町は、森の光によって少しずつ変わっていきます。光が見える人。光が見えない人。光を良く思う人、思わない人。光で一儲けしようと企む人。光が町を駄目にすると真剣に悩む人。詩人は、その光を『エア』」と名付けます。そして、『玉』を持つ人を『キクト』と名付けます。なんとか『エア』をコトバで伝えようと努力します。……ただ、あの妹に『エア』を伝えるために。」
 以上です。
 劇場を入ると、上から見て、舞台から客席に向けてローマ字の「U」を天地逆さまにしたようにスクリーンが張られています。そこに投影される映像と、舞台上の役者の演技、ダンスがクロスオーバーして劇的効果をもたらす訳です。
 昨年9月のオーディションから始まった壮大なプログラムですが、残念ながら私の舞台の印象はそう良いものではありません。まず物語自体が少々小難しい論理を柱に成り立っており、それを見る側が理屈で追おうとすると頭がこんがらがってきます。これが、唐十郎(元・状況劇場、現・唐組)や野田秀樹(元・夢の遊眠社、現・野田地図)のように突拍子もない飛躍した論理の展開される芝居だったら(例・「ちくわの穴の向こうに満州が見える」)、ひとまず理屈で筋を追おうとするのはやめてエンターテインメントの流れにまかせ、ふだんは意識しない脳の毛細血管に血がめぐり心地よい眩暈がするのを楽しめるのですが、そこまで大風呂敷を広げた娯楽性に富む筋でもない。
 2つ目に、全体に展開が停滞気味というか、閉塞気味というか、静かな場面が多く単調で、せっかくのしつらえがあるのに劇的興趣に乏しいとも思われました。芝居がダンスなども交えてダイナミックに動き出すのが1時間40分を過ぎてからで、それまでは観客に相当程度の忍耐力を強いかねない展開だっとも言えるでしょう。
 一方で、収穫もありました。それは芝居とダンスの融合が比較的うまくいっていたのではないかということです。以前見た、北海道舞台塾の芝居では、元々のストレートプレイだけのものに後からダンス場面を付け加えたというのがありありと見えて、互いに浮いていた感じでしたが、今回はそうは感じられませんでした。
 ただ、映像の選択はいかがなものかと感じました。このプロジェクトに大掛かりなスクリーンを使って映像を投映するという仕掛けの楽しみが先行しているようで、舞台上の役者たちを生かしているようには思えない、観客の目先を驚かせることだけのようなものに思えるのです。
 チラシにも書かれているセリフの一つに次のものがあります。
 「心と心をこめて創る物との間に 創られた物とそれを見る人との間に 見た人と感じる心との間に コトバがある」
 この舞台は実際、言葉という難しいところに踏み込んだ野心作と言えます。ここで我田引水ながら、思い出すのは私の生涯のベスト芝居、世界的にも名作とされる「水の駅」のことです。20年以上前、大学時代に東京で見た、太田省吾率いる転形劇場(1988年解散、大杉漣さんらがいた)の「水の駅」は無言劇とも沈黙劇ともいわれたものです。
 舞台は、1本の水道の蛇口から細くとうとうと水の流れ落ちている水場。上手から洗濯女や旅の男、3人娘、年のいった男と女など年も様子もさまざまな男女が、5分間に1メートル歩くかどうかの遅さでやって来ては、水場でそれぞれの時を過ごし、去って行きます。セリフはいっさい話さず、(私はそう見たのですが)瞬きもしません(だから役者の目からは自然と涙がこぼれます)。初めて見た時、これはいったいなんなんだと全身に異物が突き刺さったような感じで、セリフがない分、言葉という言葉、物語という物語、人生という人生が身に襲い掛かって来て、劇場からの帰り道、とうとう地下鉄駅の便所で嘔吐してしまいました。
 結局、この舞台は(初見時も再演でしたが)大学時代に3度か4度は見ました。そして後日、戯曲集を買うと、役者たちが一切口にしないセリフが事細かに書いてあるのです。太田は「通常の人間は1日に1時間も話していない。つまり23時間は沈黙している。それを突き詰めてみた」趣旨の言葉を述べています。演劇と言葉、演劇の言葉を考える時、常に私は転形劇場の「水の駅」に立ち返ります。そして思うのです。
「突き詰めたら、芝居に言葉はいらないよ」って。でもその正反対の唐や野田の芝居も大好きなんですから、人間っておかしなものです。
 きょうは「エア」から転じて、マイベストのことも書いてしまいました。何かを書かせる、考えさせたくなる芝居というのは、それ自体、成否を超えて評価に値するものだと私は思います。最終年度3年目を楽しみに待ちましょう。
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2006年02月25日

ブラック・コメディ

タイトル:ブラック・コメディ
 ピーター・シェーファー作「ブラック・コメディ」は、北海道演劇財団付属TPS(シアタープロジェクトさっぽろ)養成所の第6期生研修科・第7期生本科卒業公演として宮田圭子(TPS)演出で行われました(2月19日、札幌・シアターZOO)。俳優の卵たちの演技ですから、力みがあったりしてまだまだうまさには遠いのですが、一生懸命さが伝わるとともに、後半になると力みも取れてきたのか、芝居が滑らかになり楽しく見られました。
 舞台はアパートの一室。駆け出しのアーティスト、ブリンズリー(佐藤健一)の部屋です。きょうは彼にとって大切な日。大富豪のバンベルガー(宮田)が彼のアートを買い付けに来るとともに、許婚のキャロル(成田麻美)の母親(深澤愛)が訪ねて来るのです。そこで彼は一計を案じます。隣家の物持ち、ハロルド(長岡卓)の留守をいいことに、彼の部屋から仏像や壺、ソファなどを運び込んで部屋を装飾するのです。
 ところがここで大誤算。何かの拍子にアパートのブレーカーが落ちて停電してしまいます。同じアパートに住むミス・ファーニバル(藤岡あかり)は逃げ込んで来るわ、訪ねて来た母親にはろうそくなど明かりの用意がないことをなじられるわ、ハロルドは帰って来るわ、キャロルに隠していた恋人クレア(堀内まゆみ)は訪ねて来るわ、すったもんだです。そこへ、先に要請していたロンドン電気局から修理人(川崎勇人=TPS準劇団員)がやってきます。停電で暗いことを幸いに、だましだまし時をやり繰りしていたブリンズリーは、電気が修繕され明るくなった時にどうするか。
 この芝居の面白いところは停電時の舞台処理です。これは戯曲指定通りのはずですが、ふだんの明るい(電灯の点いた)場面は劇場内は薄暗く、停電時は劇場内はかえって照明が明るくなります。つまりキャロルの母親がライターの火を点けた時、劇場内は薄暗くなってライターの明かりが目立ち、ライターを消すと劇場内の照明が明るくなって登場人物はおろおろするのです。TPS養成所がこれを卒業演目にするのは3年連続ですが、初めて見た時、舞台表現の面白さを実感しました。アイデア一つで、世界が逆転する痛快さです。
 ちなみに2年の研修科を終えた佐藤、成田、深澤の3人はTPSの準劇団員に、1年の本科を卒業した長岡、堀内、藤岡の3人は研修科に進むことが決まりました。それぞれの夢に向かって頑張ってほしいと願っています。
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2006年02月24日

再演A。

 北海道新聞夕刊の劇評欄「ステージ」で「つまんない」と書かれたことで、小劇場関係者の中で(私の周囲ですが)ちょっとした波紋も起きた芝居です。劇団SKグループの第20回公演「再演A。〜キミのなかのボクのこと。〜」(2月5日、札幌・シアターZOO)。劇団団長すがの公の作・演出で、2月25、26日には東京芸術劇場でも公演します。
 舞台は精神病院の閉鎖病棟。頭の中で妙な音が鳴り響くという男、薫(江田由紀浩)と凶暴で男嫌いの女、晶(小山めぐみ)の元に、女、誠(福村澄江)が連れて来られます。ここには毎週、病院の闇を暴くというノンフィクション作家北島(すがの)が薫への面会に訪れているのでした。
 3人の関係は何なのか、3人とはそもそも誰なのか、そして北島が探る闇の正体は、など、心理サスペンスがめくるめき、謎の魅惑に誘います。普段は多い笑いの場面もほとんどなく、すがのが初の東京公演の作品として力を込めた作品であることが“行間”からうかがい知れます。
 しかしその多少力みと言えなくもない圧倒的な緊迫感が、見る側に眠気を誘うということもありうるのです。この作品ではそうした経験を私はしてしまいました(つまり、少しうとうとしかけたのです)。病棟内の描写がどこか一本調子のふうも感じられて、元来すがの作品の持つ軽やかな遊戯性をもう少し発揮してもよかったのでは、と思いもしました。
 芝居は3人の患者と北島の関係を謎解きしてみせた後、思いも寄らぬ結末を迎えます。そしてその時になって私は、心地よい騙され方に拍手を送ったのです。
 終演後、場内では「別にそれほどつまんなくないじゃない」といったつぶやきが漏れ聞こえました。
 すがのに聞いたところ、その思いも寄らぬ結末は、初日の結果を見た結果、公演2日目から付け加えたとのことでした。うーむ、これはちょっとルール違反です。新聞の劇評は初日を見てのもの。もし2日目以降だったら、つまり「完成形」だったら、「つまんない」という言葉は書かれなかったかもしれない。
 芝居は生ものとはよく言います。生身の役者がライブで演じるのですから、その日の体調によっても出来、不出来はあるでしょう。でも場が一つまんま付け加わるのは、または削除されるのは、そうそうあることではないでしょう。
 今回の事態は劇団(制作者)側にも、私のように批評する側にも、不幸なことであり、課題であったと思います。そしてそれより一層、初日を見に来た観客には申し訳ないことだったと、制作者側は肝に命じてほしいと思います。もちろん十分分かっているはずのことですが、敢えて苦言を呈しました。
 東京公演、頑張って来てください。
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乃崎さんのついた嘘

 劇団イナダ組は札幌の数ある劇団の中でも、人気と実力を兼ね備えたカンパニーです。そして近年は、20代の観客がまだまだ圧倒的に多い札幌の小劇場界において、30代以上でもじっくり楽しめる舞台づくりをしていると思います。
 果たして第32回公演「乃崎さんのついた嘘」(イナダ作・演出、1月29日、札幌・やまびこ座)も、芸達者な役者たちによって味のある物語が繰り広げられました。
 劇場に入ると、昔懐かしい感じの舞台装置。真正面に障子を背に卓袱台があり、上手(舞台に向かって右側)に階段、なかなか大掛かりなしつらえで、まるで昔のテレビの「時間ですよ」とか「寺内貫太郎一家」のセットのようです。
 そこで演じられるのは、先に挙げた番組を思い出すようなホームドラマ。夫の7回忌の後、古いその家に暮らす妻シズ江(棚田佳奈子)の元に、遺産をめぐり、しっかり者の既婚長女(小島達子)、ぐうたらの独身長男(川井“J”竜輔)、独身次女(浅沼さつき)、ちゃっかり者の夫の妹(山村素絵)らが絡み、騒動を繰り広げます。一方、シズ江の元には、実はまがいものの金融商品を扱う安富ファンドの乃崎(飯野智行)という男が出入りしていて、シズ江に頼りにされています。こうした構造の中で、お金をめぐる悲喜こもごもが語られる訳です。
 今回の芝居は、いつになく抑制が効いていたように思います。これまで、「イナダ組の役者陣はうまいのだから、ここまで大袈裟に演じなくてもいいのにな」と思った作品もあったのですが、今回はそう感じなかった。それだけに物語がしっとりと味わい深くなったと思います。
 ただ欲を言えば、物語のラスト、乃崎が「嘘」をつく訳ですが、なぜ乃崎がそうまでしてシズ江を守りたかったのか、乃崎とシズ江の関係がいまひとつ十分には描かれていなかったと思います。それが表現されていれば、物語世界はより広がりと深み、説得力を増したのではないでしょうか。
 いわずもがなですが、安富ファンドの上司(黒岩孝安)も、その筋の世界をよく知る人にとっては「甘い」といわれるかもしれません。
 ともかく、昨今の、「家庭」がどこかへ行ってしまったかのように語られる時代に敢えて挑んだイナダ流ホームドラマは辛口で、最後にちょっぴりホロリとさせました。
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2006年02月21日

西線11条のアリア

 第1回に、このホームページの表題を「シアターホリック(演劇病)」としましたが、無論ここは(演劇中毒)としても(演劇症)としてもいいわけです。アルコーホリックがアルコール中毒、ワークホリックが労働中毒といわれるのと一緒ですね。そんなことどうでもいいか。
 早速、芝居について書きましょう。
 北海道演劇財団付属劇団シアタープロジェクトさっぽろ(TPS)第18回公演「西線11条のアリア」(観劇日1月9日、14日の2回、シアターZOO)。TPSチーフディレクターで札幌、東京で活動する斎藤歩の新作・演出です。
 西線11条とは、札幌の市電に実在する停車場の名です。題名はバッハの「G線上のアリア」を下敷きにしているわけですね。
 舞台中央には細長い停車場があり、四角い柱型の時刻表が立っています。冬の夜、ここに、アーティスト(林千賀子)や若いカップル(木村洋次、内田紀子)、謎の女(山口清美)、コンビニバイトの女(山本菜穂)らが電車(車掌=岡本朋謙)を待ちにやって来ます。中には停車場でコメを炊く青年(川崎勇人)と姉(宮田圭子)もおり、東京から出張で来ていたサラリーマン(高田則央)はわが目を疑い、混乱を来します。
 さまざまなやりとりがあり、場内を笑いの渦に巻き込みますが、実は姉とサラリーマンを除くその他の人たちは、自分たちでもよく覚えのないある共通した秘密を抱えていて、そのためにこの停車場に来ている、来てしまっているという事情が分かってきます。それは、見る側をとても切ない思いにさせる事情です。
 一言で表現すれば、斎藤歩版「銀河鉄道の夜」といった趣をも感じさせる叙情的な物語です。日常の何気ない場と時間から、生者と死者とのやりとり、生きること、また(死者の記憶に)生かされることへも思いを促されます。笑い続けているうちに、生と死についてもそこはかとなく思いを致される、優れた作品世界が立ち現れます。
ラスト、役者たちの吹奏楽の生演奏で姉が歌う「G線上のアリア」が静かな余韻を残して終わります。
 おそらくはTPSのレパートリー作品として今後も上演されるでしょうから、ぜひその際には見てみていただきたい芝居です。
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2006年02月18日

北海道新聞・加藤浩嗣です

 今回、劇評「シアターホリック(演劇病)」(私としては印象記、あるいは観劇記といった程度ですが)を書く場を提供していただいた加藤浩嗣です。2003年前後の2年間、つごう約80本の劇評を北海道の新聞に掲載していたことがあり、当時知り合ったすがの公氏から、このホームページでの劇評掲載を提案されました。時にはある程度、ネタばれ的になることもあるかと思いますが、それはどうかご容赦を。ひとえに拙文が、どこかの誰かが劇場に足を運んでみようかというきっかけになれば、という思いに端を発していることでお許しください。それが札幌、ひいては北海道の演劇状況の向上(芝居関係者が芝居で食べていけるようになること、などなど)につながれば、と思っています。
 舞台は、見る側の想像力をかき立ててやまないもの、何か言葉につながるもの、忘れかけていた思いを浮かび上がらせるものなどさまざまです。ここでは、そうした自分なりの受け止めを正直に書きつづっていきたいと考えています。なお、本文中は関係者の敬称を略させていただきます。ご了承ください。
 では、ごあいさつついでに05年のマイベストを紹介します。昨年は舞台(ダンスなどを含む)公演を144本鑑賞。その中でのベストは札幌の若手劇団「yhs」の「95(キューゴー)」(11月、ターミナルプラザことにパトス)です。劇団代表の南参が高校3年の18歳だったという1995年を思い出しつつ作・演出した青春群像フィクション。阪神淡路大震災やオウム真理教といった歴史的事実も踏まえ、学生や社会人の若者が集うあるボランティアサークルの中の悲喜劇を実に巧みに描いて秀逸でした。新聞の見出し的に言うなら、「青春へのほろ苦い挽歌」といったところでしょうか。
 昨年の個人賞は北海道演劇財団付属劇団シアタープロジェクトさっぽろ(TPS)の宮田圭子と、シアター・ラグ・203(札幌)の福村まり。宮田は宮沢賢治原作「銀河鉄道の夜」のジョバンニ役の好演などに加え、初演出の「リリオム」では手堅い作品づくりにもさえました。福村はコンテンポラリーダンスでさまざまな趣向に挑む「マリ・ナイト」で多様なダンスの可能性を見せました。
 さて今年はどんな作品、舞台空間と出会えるのか。楽しみにしています。
posted by Kato at 01:28| Comment(5) | 劇評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする